第四号 刀の精神性について
このコラムでは何度も述べてきましたが、日本刀の三要素は
一、機能(よく切れ、使い易い)
二、美(姿、地鉄、刃紋に深い美を有する)
三、精神性(世界的に希な高い精神性を有する)
今回はこの精神性とは何ぞや、ということを考えてみたいと
思います。
精神性は英訳ではスピリチュアリティとなり、「霊性」と訳せます。
つまり、日本刀には霊性があるということになります。
古来、刀剣は三種の神器の一つで、草薙の御剣が熱田神宮に
神体として祀られています。
そのため神前打ちの刀や武将の奉納刀が熱田神宮には数多く
あり、全国的にトップクラスの保有数です。
そして毎年、熱田神宮の大前で
「熱田神宮刀剣並びに技術奉納奉賛会」によって、神前打ちと研磨、鞘、ハバキなどの技術奉納が行われています。
今年で二十七回となったこの行事は、草薙の御剣に対する崇敬の念が成せることであり、日本古来の刀剣文化を後世に伝えるための貴重な行事であります。
この奉納について少し説明しますと、熱田神宮大前に設えられた炉で、二日間のみで玉鋼から一振りの刀を製作するというものです。
一日目は鍛錬で、古式で鋼を鍛えて打ち延ばし、二日目には
成型、最後に日が暮れた時を見計り焼き入れをします。
特にこの「焼き入れ」、刀に生命が宿る瞬間を公開しているのは日本広しといえど、熱田の奉納奉賛会だけです。
神前で焼き入れされ奉納された刀剣は既に二十六口を数え、
その出来はいかなる理由かわかりませんが古色を帯びて刀の位が上がって見えます。
草薙の御剣の力か大地の力か、刀鍛冶にも理解しがたい結果が出ています。
火の中から生まれ、聖なる場で打ち鍛えられた刀剣には、刀鍛冶の実力を超えた何かが力を与えてくださったのでは、と考えます。
話を上古時代に移します。
現代でも葬儀の際に枕刀を死者に添えることがありますが、
古墳の副葬品で出土した直刀には銀象嵌で「百兵辟」
(ひゃくへいをさく)とあります。
この意味は、この刀を身に付けることで数多の兵器
(兵隊ではなく)から身を守る、と解せます。
つまり、この直刀が霊的力を持ち主に与える存在であることを信じていた先祖が刀剣に対して高い精神性を持っていた証しでしょう。
刀剣は生命力の高い(神聖な)ものの象徴で近くに置き、身に付けることを大切にしてきました。
今や死語の様に使われなくなった、「刀の手前」や
「刀に懸けて」この二つの言葉の例からも、刀を心の支えとしていたことが良く分かります。
時々、日本刀は武器で人を殺める道具ではないかと質問を受けます。
これについて私はこう答えます。
美しい姿が研師によって研ぎ澄まされ、地鉄、刃紋の美を現した日本刀を手に持った時、こんな美しい芸術性に富んだ神聖なもので人なんか斬れないと。
決して穢れの対象にしてはいけないとも。
日本刀を手にして、この様に思う人も少なくないと思います。
当然、武器としての側面もあります。
ただ同時に、家宝のように大切に扱われてきたものもあり、それはおそらく各家の中で分けて考えられてきたと思っています。
神々しい出来のものを消耗させる必要はなく、だからこそ現代に残っているのです。
また、実際に戦場では飛び道具や槍などが主な武器として使用され、刀は身近に置き身を守るものとして用いられていたということも分かっているようです。
日本人は鉄と向き合って、製鉄から道具、刀剣などを作り続け三千年の歴史を有すると考えます。
一度も植民地にならず奇跡的な技術の継承を成してきた日本人は、今大きな転機を迎えています。
つまり自国の文化や先祖から教わった大切なものをたくさん
道端に棄ててきました。
西洋が優れ、日本は劣ると教育やメディアが吹聴しつづけています。
日本刀から観ても、日本には高い技術、精神性があることがわかります。
建築、料理、衣類ほか多くの文化なども同様であると思います。
以後、道端に棄てられた大切なものを拾う日々を始めませんか。
そんな提案を以て筆を置きます。
四回にわたり、コラムにお付き合いいただき深く感謝申し上げます。
刀工 横井彰光
刀工 横井彰光
昭和39年岡山市生まれ。岡山在住。
父崇光に師事し、平成13年独立。
熱田神宮刀剣奉納奉賛会幹事、刀剣文化研究所研究員、全日本刀匠会中四国支部支部長などを兼任中。
世界に類のない刀の高い精神性を発信し、失われた刀の技術を復活させたく活動してます。
令和6年3月より隔月の三日月が望める頃、
刀工 横井彰光氏による宝剣製作にまつわるコラムを更新いたします。
初秋の章