初夏の章
第二号 日本刀の機能について
前号では、日本刀の三要素は機能・美・精神であり、その一つでも欠けると日本刀ではないということを述べました。
今号ではその機能、つまり日本刀がなぜ良く切れ、バランス良く、扱いやすいのか、その理由を述べます。
理由その一、和鉄が優秀であるから。
日本刀の原材料の和鉄(対して現代の製鉄所で製造された鉄を洋鉄と呼ぶ)は、日本列島各地から採れる砂鉄または鉄鉱石を使い、
たたら製鉄と呼ばれる低温還元炉で鋼を生み出します。
この鋼は鉧(ケラ)と呼ばれています。
その起源はトルコのヒッタイトといわれ、約四千年前に人工的に鉄を製造したことが、最近、研究で明らかになっています。
その製鉄法がユーラシア大陸を通り、およそ二千年前に日本に伝わったとされています。
現在の考古学者の通説では日本では弥生時代から鉄の”加工”を行っていたとされています。
それによると、材料の鉄は大陸や朝鮮半島から輸入し、”加工のみ”日本各地で行なっていたと記されています。
しかし例えば、縄文時代の遺跡である三内丸山遺跡や出雲大社のような超大型建造物の加工は鉄の道具なしで可能だったのか、
大いに疑問が湧くところです。
私は日本人は縄文時代からの鉄の歴史を持つと考えます。
鉄の歴史とは、製鉄から加工(鍛冶)までのことを指します。
つまり二千年どころか三千年以上の鉄の歴史を重ねてきたということです。
話を戻します。
当時の日本人は鉄を追求する中で、より良質の砂鉄や鉄鉱石を求めました。
良質な材料であれば良質な鉧を生み出しやすくなるからです。
良質な鉧は、粘りがあって硬く、刃物鋼として最適です。
中国山地では良質な砂鉄が多く、大正時代にたたら製鉄が終焉を迎えるまで山陽・山陰各地に数千と言われるたたら場を築きました。
中国山地の砂鉄は燐や硫黄の含有が少なく、生み出された良質な鉧は各たたら場から山陽地方に運ばれ、
長船や備中青江の名刀となりました。
理由その二、鍛冶技術が高いから。
良質の砂鉄原料から生まれた鉧は、刀鍛冶に供給されると日本刀や槍、鉄砲などになりますが、
秀れた材料を良く切れる道具にするには高度な鍛冶技術が要求されました。
鋼(鉧)を鍛え、形を整え、硬度や粘りを持たせるための熱処理をして日本刀が出来ますが、
同時に熱処理が日本刀の美をより深い幽玄なものにします。
平安から鎌倉時代の名刀にはそれらが強く感じ取れます。
これら古い時代の鍛冶仕事は今だ謎に包まれていて解明されていません。
またそれら名刀の切れ味については、数々の伝説が物語っている通りです。
刃物の切れ味というものは、長い歴史の中で現場からの要求や苦情を鍛冶屋が反復し技術向上させたものです。
切れ味が悪い製品を納品した鍛冶屋は淘汰され、生き残った鍛冶屋が現場の要求をこなし、
重量、バランスも十分に考えられた刃物や日本刀が世に出ていきました。
切れない日本刀は日本刀ではないというのは、使い手からすると当然の話で、切れない包丁は包丁ではないのと同じです。
ご存知の様に日本人は凝り性が多い民族です。
追求の手を止めることなく長い年月を経て、ついには最高の粘りとしなやかで硬度も持ち合わせた日本刀を完成させたのです。
そうして機能の秀れたものは美しくもなります。
美と機能は車の両輪であると思います。
次回は美について考えます。
最後に、本年立冬の十一月七日に葛木御歳神社内で行う予定のたたら製鉄は、前述の良質の砂鉄に御歳山から採取された砂鉄を混ぜ、
宝剣高照丸の再現を目指します。
引き続き皆様のご支援を何卒お願い申し上げます。
刀工 横井彰光
刀工 横井彰光
昭和39年岡山市生まれ。岡山在住。
父崇光に師事し、平成13年独立。
熱田神宮刀剣奉納奉賛会幹事、刀剣文化研究所研究員、全日本刀匠会中四国支部支部長などを兼任中。
世界に類のない刀の高い精神性を発信し、失われた刀の技術を復活させたく活動してます。
令和6年3月より隔月の三日月が望める頃、
刀工 横井彰光氏による宝剣製作にまつわるコラムを更新いたします。