この度、宝剣高照丸製作の拝命をいただきました刀工の横井彰光です。
この御剣を製作する刀鍛冶として日々思う所を書き連ねていきますので隔月のお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
私は備前鍛冶として岡山県岡山市の安仁神社(式内名神大社、旧国幣中社)の麓で作刀しています。
父も刀工であり、幼少の頃から父の作刀を目にしていました。
その父がよく語っていたことは「郷土史を知るべき」ということでした。
六世紀の吉備は産鉄の国として栄え、その後平安時代以降、日本刀の一大産地として名を馳せます。
こういった郷土の歴史を父の槌音と共に父の語りから吸収して私は刀工を志し、また郷土の歴史を探求する者となりました。
特に上古の歴史には心惹かれることしきりです。
鉄を打ち鍛えながら古の祖先の仕事を想像し、既に失われた技術を再現することをライフワークとしています。
さて昨今、日本刀はアニメーションやオンラインゲームで多く取り上げられ目にする機会も多いと思います。
日本刀は昔から擬人化、妖刀化され物語りなど創作のネタの宝庫でした。
そんなようにまた身近になってきつつある日本刀ですが、そもそも『日本刀とは何ぞや』と問われると明確に答えるのに窮するのではないでしょうか。
この『日本刀とは何ぞや』について少し述べさせてもらいます。
その一、機能に優れる。(良く切れ、曲がりづらく、手持ち=バランスが良い。)
その二、美を有する。(姿、地鐵、刃紋に高い美を有する。)
その三、高い精神性を有する。(世界中に多くの刃物・武器が存在するが、その中で精神性を有するのは日本刀のみ。)
つまり、この三つの要素である機能、美、精神を兼備するものが日本刀です。
その一つでも欠けると日本刀とはいえません。特に高い精神性を有することは特筆すべきところであります。
宝剣高照丸を葛木御歳神社に奉納された祖先は日本刀に高い精神性を有するということを熟知した上で奉納されたことは間違いない
でしょう。
しかし大正頃に盗難に遭う不幸があり現在に至ります。
式内名神大社の社格を有する葛木御歳神社にとってこの現状を憂い、元の姿にお戻しすることが大きな責務、いや神命とお考えになられ
東川宮司が立ち上がられました。
勇断に応えるべく、宝剣を打ち鍛えるべく、この春から本プロジェクトを実行に移します。
まずは御神体である御歳山から原材料となる砂鉄を令和六年三月十二日に有志で採取し、この砂鉄を使い令和六年十一月立冬に境内で
タタラ製鉄を行います。
またタタラ製鉄に伴い境内にて、有志の方々に赤まった鉧(けら=砂鉄を還元してできた鋼のこと)を大槌で打っていただく「奉納向槌」も実施する予定です。
その後、私の鍛刀場でこの鉧を使って宝剣高照丸を鍛刀させていただきます。
是非とも、この宝剣高照丸の復活に皆々様の御力をお貸しいただきたく切にお願い申し上げます。
次号より、前述の「日本刀とは何ぞや」の三要素を一つずつ詳しく述べていく所存です。
時間があればご一読いただけたら幸いです。
刀工 横井彰光
春の章
刀工 横井彰光
昭和39年岡山市生まれ。岡山在住。
父崇光に師事し、平成13年独立。
熱田神宮刀剣奉納奉賛会幹事、刀剣文化研究所研究員、全日本刀匠会中四国支部支部長などを兼任中。
世界に類のない刀の高い精神性を発信し、失われた刀の技術を復活させたく活動してます。
令和6年3月より隔月の三日月が望める頃、
刀工 横井彰光氏による宝剣製作にまつわるコラムを更新いたします。